人魚のかたり

人魚のかたり

660円(税込)

ひととさかなのこいものがたり

新書判/82頁(表紙含)/化粧紙付
伝承や民話を素材とした和風幻想です。


いつともしれないそのとき、どこともしれないその土地。
僕がこいをしたそのひとは、出会ってからずっと少女のかたちを続けていた。
夏山にあらわれた氷上の庭、水底で待ち続ける黒色のさかな。水鏡にとざされる金色のさかな。しろいこどもと出会う夏休み。
これは、かきあつめられた、ひとさかなのかけらたち。
断片蒐集和風幻想。


【目次】
「跋 ばつ」
「鏃 やじり」
「黒鱗 くろうろこ」
「碧淵 みどりふち」
「扇骨 おうぎほね」
「日傘 ひがさ」
「沈め石 しずめいし」
「梯 きざはし」


【Sample1(「沈め石 しずめいし」抜粋)】
 箱のなかには金色があった。箱のうちがわは朱塗りだった。箱のなかにおさめられているなにものかは、横向きに身を丸めているようだった。大切なものを両手で握り、祈っているようにも見えた。抱き締めているものを、たわめ、歪め、握り潰しているようにも見えた。ひらかれた碧の目は、凪いだまま、どこも見てはいなかった。
「眠ってすらいなかったか」
 呆れ果てた声が、幼子の唇からこぼれた。
「それはあんたのあげた声ではないだろう。それが散じてしまったところで、律儀にあんたが気に病むことでもない」
 金色の頭上にあたる箱の縁に手をかけて、幼子は身を屈めた。ゆらめく白い髪に、逆巻く金糸がやわらかく絡んだ。
「なじっているわけではないさ。これがおせっかいだということは、わかっているんだ。だが、とりひきをしてしまった。おれをここに運ばせる手助けをするかわりに、声を届けてやると。だから、ここには、あんたのかわりにおれがいるよ。これまでこの庭を守っていてくれて、ありがとう。でも、だからこそ、あんたはあんたの夢をみたっていい」
 ちいさな唇が、箱のなかのものの瞼を押し上げる。真白の瞼はとじられて、まるい碧は隠される。
「早く泳いでいってやれ。あんたを待っているあいつは、待つことをやめられないくせに、待ちくたびれている」

【Sample2(「鏃 やじり」抜粋)】
 鮮やかな彩りのなかに、くすんだ点があった。咲き乱れる花に埋もれるようにして、灰色の日傘をさす彼女がいた。白魚のような指が活き葉のついた小枝をつまんでいる。彼女は膝を折り、小枝を氷面に突き刺した。小枝は幹へと変じながら背を伸ばしていく。方々に分かれていく枝に艶やかな濃緑が芽吹き、蕾がつき、花が開く。そこに咲いた鮮紅は、彼女と出会った海辺に灯っていたそれと同じ花だ。
 こんなことがあるはずはない。あるはずはないのだけれど、あることにすることができれば、そこには彼女がいる。
 僕は身を乗り出していた。極彩に湧いた灰色へと手を伸ばせば、彼女をとらえられるかもしれなかった。

【Sample3(「跋 ばつ」抜粋)】
 叔父の指先が押し出しているのは、菓子折りのような方形のものだった。古さも種類もまちまちな紙を束にして、厚紙で挟みこんだ代物だ。一冊の本のようでもあり、薄いノートを何冊も束ねたもののようでもあり、スクラップブックのようでもあった。
 方形の上に叔父はひとつの鍵を置いた。
「これは我が家の鍵。留守中、好きに出入りしてくれてかまわない。たいしたものはないし、あるものは使ってくれてかまわないけれど、きちんと元に戻しておいてね。おじさんとの約束だよ」
「鍵の置き台になっている、これは?」
「それは、あるものについて、僕が綴ったものだ。これまで追い続けていたものを、書き留めたものの集積だ。だから、僕にしか意味のないものだし、内容にだって整合性はない。かかわっていそうだと僕が感じたものを、欠片にもならないはなしとして掻き集めたものにすぎない。同じことについて言及しているものであっても、違うことを主張している。矛盾も齟齬も同列で、正誤なんて判断がつかない。どこかにおいて誰かの口からそのようにあらわれたということだけが、共通している」
「そうであるのなら、これは手放していいものじゃない」
 私は紙束を押し戻す。やわらかな微笑をたゆたわせて、叔父はそれを押し返してきた。
「悪足掻きのようなものさ。誰でもよいのではなくて、君に持っていてもらいたいんだ。ここに綴られているものに、わずかでも触れたことのある君に。君ならば、役に立たないからといって、これを燃やしたりしないだろう」
「ひとが大切にしてきたものを、灰にするわけはないでしょう」
「そう睨まないでくれよ」
 うろたえながら宥めてくる叔父を見据えながら、珈琲を啜る。
「ところで、これは、何についての記述なの?」
 

サイズ
新書判
納期目安
ご入金確認後1営業日以内に発送
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購入数制限
なし
残り在庫
余裕あり
初回発売日 2019.10.14
最終納品日 2024.02.15

人魚のかたり

660円(税込)

作家

南風野さきは

南風野さきは

はえのさきは

片足靴屋/Sheaghsidhe

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