短編集 星を抱く
草群鶏
600円
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385円(税込)
そのなにものかは、水に沈む女の夢をみた。
いつも庭をながめている幼子と、人のかたちを模すことができるなにものかの、約束をまもる異類婚姻ファンタジー。
新書判 /16頁(表紙含)
【Sample】
若い女が水底へと沈んでいく。私は女を追って深みへと潜っていく。陽の射さぬ深みへと沈んでいく。
薄い殻を破り、薄膜を抜け出す。地中から地上に這い出すと、そこは緑溢れる山であった。
私は蛇であり、この山は私そのものである。
生まれたばかりである私には、樹木に絡みつく藤の蔦も、地を覆う幅広の葉も、細枝を叩く大粒の雨も、初めて触れるものであるはずだった。それにもかかわらず、それらが何であるのか、生きながらえるにはどうすればよいのか、私のどこかから湧いてくる知識はすべてが既知であると告げていた。殻の中でのまどろみに明滅した断片を夢と呼ぶのなら、殻を破った果てである今は夢の続きなのだろうか。
私は脱皮が苦手だ。山野を這い、鼠を呑み、池を泳ぐ。このようにして日々が過ぎれば、鱗の光るこの身は脱皮を必要とする。何度も繰り返しているのだから上達してもよいものだが、そんな兆候はない。
この身が最初に雨を浴びた山の麓には、水田という地平のなかに島のごとき集落が点在していた。子蛇である私が脱皮に失敗し、息苦しさを覚えていたのは、そのような里にある民家の庭先だった。気晴らしに雨でも降らそうかと思い立ったが、息をするために鼻の代わりに口を開けてうずくまっているような有様だ。思い立ったそばからそんな気力は失せていった。
私は、雨を、雷鳴を呼ぶ。私は雷鼓にして虹である。